うつ病患者が死にたいと思った話

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もう5年以上前の話になる。うつ状態がひどかった時の話、2回ほど希死念慮に襲われたことがある。
世間一般の「死にたい」と少し違うかもしれないけど、その時のことを少し書いてみようと思う。

1回目の希死念慮

治療を開始して1年くらい経ったころのこと。多分2009年の秋だったと思う。服薬して何とか休職しないで仕事をしていた時だったと思う。
通勤途中の電車で外を眺めていた時、ホントに何気なく「あ、あそこから落ちたら死ねるなあ」と頭に浮かんできたことがあった。それは前触れも何もなく突然頭に浮かんできた。特に調子が悪かったというわけではなかった。当時、すでにメンタルヘルス系の仕事についていたので「ああ、これが希死念慮なのか」と無責任に感じたことを覚えている。たぶん、すぐに「希死念慮」というワードが頭に浮かんだおかげで行為に及ばなかったんじゃないかと思う。
またその時は不思議と電車の車内が非現実的に見えた。あれが「離人感」だったんだろうと思う。世界がフィクションのように感じて飛び降りることも特に重大な出来事じゃないように思えた。
その後も同じような感覚に襲われることはあったけど、やり過ごして今に至っている。

2回目の希死念慮

1回目から半年くらいたったころ、また違った感覚の希死念慮に襲われたことがあった。その頃は睡眠障害がひどくていくら寝ても体力が回復しないような状態だった。その時は「つらい、楽になりたい、いっそ死ぬか」とひどく論理的な感情だった。これはしばらく続いた。その時の感覚は思い出したくないくらいにつらかった。
おさまったのは処方の変更による状態の改善だった。当時はパキシルを主剤に治療していたが、主治医と相談して発売されて間もないリフレックスに変更してもらった。これがかなり効果があって嘘みたいに回復につながった。あのタイミングでリフレックスに出会ってなければ自分はダメだったかもしれない。今もリフレックスにはお世話になっている。自分の回復はこの薬に出会えたからこそだったと思っている。

というわけで自分の希死念慮の体験について思い出してみた。うつ病の希死念慮についての体験談を見ていると「気が付くと踏切にいた」等の「強く死にたいと願って自殺する」というより「何かに誘われたように自殺する」といった話をよく目にする。これは自分の1回目の体験談にあるような離人感によるものなのかもしれない。もちろんそれがすべてではないのだけど。

こういう形で振り返ってみると精神保健福祉士の資格を取って仕事をしていたおかげで助かったようなものだと実感する。希死念慮や離人感という症状に対しての知識があったし、ほかの人より早く新薬への情報にアクセスできる立場にあったから助かったようなものだ。そこは運がよかったとしか思えない。

うつ病をよく知らない人にはぜひ「死んでやる!」と宣言して死ぬような人がテンプレートではないことを知ってほしいと思うのだ。

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